嵐山准
 陽気な日差しが降り注ぐ昼下がりの午後のこと。窓から吹き込む風が皮膚を刺す程に冷たい冬のこと。テレビから流れ出る音声に、私は思わず洗濯物を取り込んでいた手を止めた。まだ年端もいかない中学生くらいの男の子が堰を切ったように話し出す。どうやら先日起きた大規模侵攻に係るボーダーの記者会見のようだ。生中継ではなく録画のようだが、只でさえ完治しきっていない負傷中の少年が大人達に糾弾される様子は、見ていて居た堪れない気持ちになる。
 それとは別に、私の心に押し寄せる感情があった。懐かしいという、この場面にそぐわぬ回顧だ。私はテレビに映るこの少年との面識は一塵もない。それなのに、仄かな既視感を覚えるのだ。記憶を手繰り寄せてその正体を掴み取れば、合点がいった。私の幼馴染も遠い昔にこうして記者会見に出て、蔓延る記者達から配慮に欠けた質問を浴びせられていた。まだ幼くあどけない容貌が印象的な、今となってはボーダーの顔とも言える存在。そんな雲の上のひとが、私にとって唯一の幼馴染だった。
「最後まで戦うってなに?」
 あの日の会見を見終えた後、私は怒りを剥き出しにして准を問い詰めてしまった。沸騰しきった感情の矛先として発露してしまったことは、今思い返しても大人げない。私にしか理解できないそれを向けられても、彼には何のことだか分かりはしなかった筈なのに。
「変だったか?」
 それでも、准は私のことをどうにか理解しようとする。向き合おうとする。自分勝手に困らせる、手を焼かせる幼馴染に、嫌な顔ひとつせず。淀みのない純真なエメラルドグリーンが私の姿を映すとき、途方もなく怖くなるのだ。まるで私が間違っているみたいに思えてならない。真っ直ぐな正しさが私を穿ち、自分の確固たる意思が揺らいでいく。
 最後まで、の意味するところが敵に打ち勝つまで、であるならば、それは正義のヒーローとして正しく在るべき姿なのだと思う。彼は街や人を守る組織の一員で、その象徴なのだから。でも、彼の言う最後までは、私や会見を聞いた人達が認識する意味と僅かに差異が生じている。身のある限り、即ち戦場で己が使い物にならなくなる最期まで。准はそう言っているのだ。命を軽視するではなく、寧ろ戦禍の重みを見据えているかのような発言。まだ齢十五の中学生が口にできるような言葉ではない。軽はずみではなく、本心からそう思っているのだから、尚更たちが悪い。准の恐ろしく一直線で在ろうとする姿に、私は幼馴染としての一面とは程遠い、彼の裏側を暴いてしまった気になるのだ。
「変じゃないよ。変じゃない……けど……」
「けど?」
「約束して。最後まで戦って、必ず帰ってくるって」
 きっと何を言おうとも准には届かないだろうから、私はひとつの約束を取り計らった。彼の最後が──最期が、誰もいなくなった荒野の果てではなく、私の元であるようにという約束。願掛けのようなものだ。
 准の服の裾をぎゅっと握り締めると、彼は「心配症だな、は」と目を細めた。どうして嬉しそうにはにかんだのか。当時の私には分からなかった。今も、分からないままだ。
 そこでインターホンが鳴らされたのを耳で感知した私は、ようやく過去から意識を揺り戻した。テレビの液晶は既に別の番組が映し出されている。私は慌てて腰を上げ、来訪者が待つ玄関へと向かった。
「はーい、…………あ」
「ただいま、
 扉の隙間から、羽毛のように柔らかい黒髪がひょっこり現れ出た。来訪者は私の幼馴染だった。
 准はきっちりしたジャケットを羽織り、身なりを整えていた。グレンチェックのマフラーで首元は包まれているが、吹き溢れる吐息は白く染まっていて、見るからに寒そうだ。そして、今日も碧緑のきらめきを湛えるまなこが、私を真正面から捉えている。
「不用心だな。インターホンで出るか、チェーンはかけるかした方が良いと思うぞ」
「それは……おっしゃる通りです」
「いつになく素直だな。どうかしたか?」
 暖かくてやさしい声が降り積もる。私がふるりと首を横に降ると、准は「そうか?」と首を傾いだ。
 彼は今日も、律儀に私の言いつけを守ってくれている。准が私の家に立ち寄るのは珍しいことではない。彼の実家からもボーダーからも程良い近さの此処を休憩所代わりに利用していることも、私の生存確認がてらに寄ることも、どちらも立派な理由だ。けれど、彼が頻繁に私の元を訪れる最たる理由が何であるかを、私はよくよく知っていた。
「おかえり、准」
 そう言って准を迎え入れる。彼はあの日と同じようにはにかんで、遠慮がちに足を踏み入れるのだ。
 まずはそのかじかんだ身体を炬燵に押し込めて、彼が好んで飲むコーヒーを入れて。今日も今日とて正義のヒーローで在り続けた彼に、私ができる精一杯の労いをせねばならない。准が私の元に帰ってきてくれる、その感謝をありのままに伝えなくてはならない。