五条悟
 私達は同じ成分で構成されて、同じ段階を経て完成された筈の個体なのに、こんなにも異なっている。例えば顔立ち、例えば体格、例えば筋肉量、それからそれから……。とにかく一度挙げれば際限なく、私と五条くんとの相違点は湧き出てくる。人間という大きな枠組みには収まっていても、決して相容れない隔たりがあって、全く別種の個体なのだと認識させられる場面もたくさん存在した。その違いに意識を向けた最もたる由縁は、彼の手のひらだった。
 指はがっしりとして長さがある。関節の出っ張りが顕著で特徴的。手の甲には青白い静脈が浮き出ている。ついでに深爪。日々の観察で知り得た情報だけでも、私の手指とは丸きり別物だった。どこの分岐点でどう道を違えたらこんなに逞しい手のひらに育つのだろう。幾度も視線を注いで思いを馳せる内に、純粋な興味は色濃い欲望に染まってゆく。ただ眺めるだけでは満足できない。折角ならその形を、温度を、質感を、この手のひらを通じて確かめたい。こよなく差異を突き付けられたい。そんな不純な願望に囚われて、思考はない混ぜになっていた。
 付き合い始めてから二週間が経過して、留まるところを知らずに突き進む私の煩悩を打ち明けたのは今日になった。振り払えない邪念が間違いを犯してしまう前に、いっそのこと素直に胸中を曝け出した方が身のためだと結論付けたのだ。
 五条くんの濃密な気配が辺りを包み込む密室で、ようやく唇を広げる。舌に乗せて押し出した「五条くんの手のひらを触りたい」という直球で浅はかな欲望に、彼は腹を抱えて笑った。薄明に似たしろがね色が激しく揺れて、笑い声が空気を震わせる度、私は何とも言えない羞恥の嵐に見舞われる。結局その自尊心をずたずたに引き裂く旋風から逃れたのは、五条くんが一頻り笑ってずれたサングラスを掛け直した後だった。

「虫も殺せない顔してそんなやらしーこと考えてたのかよ」
「違っ……うことはないけど……」
「認めてんじゃん」
 いざ本人から指摘されてしまうと、もう抗う余地なく認めざるを得ないではないか。実際のところ、やらしい煩悩が棲み着いて悶々としていたのは事実なんだし。泣く泣く自分の醜態を受け入れて頷くと、五条くんは鼻から抜けたような一笑を洩らした。
「良いじゃん。手、出せよ」
 そう要求して、五条くんは自らの手のひらも差し出した。外側ばかりに視線を落としてきた私にはあまりに殺傷力の高い、未知の内側が開示される。広げた大きな手のひらには枝分かれした筋が幾つも流れていて、その絵面はまるで地形図のよう。生命線の長さや軌道でさえ、ふたりは全くの別物だった。新たに得た知見を胸に押し込めて、いざ手のひらを突き出す。緊張の一瞬は一瞬で過ぎ去ることなく暫く続いた。それもその筈だ。だって、後一センチにも満たない距離にまで近付いて、いくら押してもそこから前に進めないのだから。目には見えない隔たりが指先に触れたとき、ある想像が脳裏を過った。予感を孕んだ視線を持ち上げると、不敵に笑う五条くんが待ち構えている。
「騙されてやんの」
「……!」
 その一言で予感が確信に切り替わる。今の五条くんが湛える表情は、自分が持ち得る能力を駆使して、私の期待を弄んで意地悪するときの彼に他ならなかった。五条くんもひとが悪い。私の懇願を受けたその瞬間から、この状況下に持ち込んでからかう算段を立てていたんだろう。掌の上で踊らされていたのだ。虐められて、そのうえ物理的な反撃の手段もないとなれば、もう閉口するしかない。熱くなる目頭を見られたくなくて首を傾けると、五条くんは「ごめんって」と焦慮に駆られた声を絞り出した。謝るくらいなら最初からやらなければ良いのに。そう思いはしても、わずかに焦りの滲む手のひらに両手を包み込まれてしまえば、結局許すしかなくなるのだ。完全に、身も心も絆されている。
「照れんなよ」
「……照れてない」
「顔、真っ赤だけど」
 それはもう察して欲しい。ようやく念願叶って、待ち望んでいた手のひらの感触を与えられたのだ。沸騰しそうな温水が身体に纏わり付いて、息継ぎもままならずに今にも溺れてしまいそう。そして、そう指摘する五条くん自身も薄白い肌には対極的な赤味が差していること、きっと本人も分かっている。
「感想、なんかないの?」
 重ね合わせた指先で皮膚をなぞって、異色の感覚を確かめる。そんな単調な作業に陶酔していると、痺れを切らしたのか五条くんの方から身を乗り出してきた。目と鼻の先にまで近付いて、吹き掛けられる吐息が熱くてこそばゆい。じっくり満喫した手のひらを握り締めながら、得た成果を脳内で纏め上げた。
「皮膚が厚くて、指の付け根がゴツゴツしてる」
「うん」
「爪が平たくて硬い」
「ん、それで?」
「……五条くんのドキドキが、こっちにまで伝わってきそう」
 最後はこれまでのお返しとばかりに、意地悪な感想を詰め込んでみた。でも、どれも嘘偽りのない本当の話だ。浸透してくる高めの体温と、微かに伝播する振動が、私も五条くんも同じ心境だと仄めかしている。心臓が切羽詰まったわななきを訴えて、周囲の温度も昇り詰めてゆく。こんなに別物の器官であっても、その内側に秘めたる感情は変わらない。
 五条くんは意表を突かれたように息を呑んで、それからばつが悪そうにそっぽを向いた。サングラスの隙間から覗く澄んだ青白い瞳には、波紋のような淀みが広がっている。思い掛けず動揺してくれているみたいだ。意識や視線が別の方角に向かっても、繋がれた手のひらは離れなかった。
「それはオマエのだろ」
「五条くんはドキドキしてないの?」
「…………、してるけど」
「えへへ」
 言葉に支えながらも素直に白状してくれた五条くんに、益々嬉しさが募る。既に緩んだ頬は勝手を働いて、図らずしも唇に笑みを乗せてしまう。そんな私の腑抜けた顔を見ても彼は咎めることなく、呆れることなく、ずっと指先を絡めたままでいてくれた。
 指の縦幅も横幅も、皮膚の厚みも、爪の形も、何もかもが違う。手のひらだけじゃなく、私と五条くんとで異なる違いはそれこそ星の数ほど存在している。でも、ただ違うだけじゃなくて、同じ気持ちも確かに擁している。それって不思議なことで、奇跡みたいなもので、この世界において何にも勝る幸せなことだ。