五条悟
※成人女性と未成年の恋愛です

 心地よい夜風が肌を撫ぜて酒気が薄れるのではなく、視界の端に捉えた人影によって酔いの回っていた意識は晴れ渡った。千鳥足だった両足がしっかり地に着くようになって、自然と背中もぴんと張り詰める。
 夜の街でも一際浮かび上がる容貌の彼は、髪色とお揃いの白い吐息を吐き出していた。
「悟くんではありませんか」
 歩み寄って来た私の茶化したような言い回しに、悟くんはあからさまに機嫌を悪くした。怒気のような諦念のような何かが複雑に入り混じった視線が、サングラスを押し退けて突き刺さる。冷気が皮膚を凍らせる真冬の季節には些か、いやかなり痛い追撃だ。とは言え、彼の気難しい性格に理解が及ばないほど浅い関係ではない。こういう獰猛な不機嫌を自ら押し出すときの悟くんは、謂わば愛情の裏返しなのだ。
 道路脇に停められていた二輪車の機体に寄りかかっていた悟くんは、腰を上げて私の目の前に立ちはだかった。空に浮かぶちっぽけな満月を背後にして見下ろされると、彼がいっとう大きく輝いて見える。
「ありませんか、じゃないんだけど。何で電話出ないわけ?」
「うん? ……あ、電源切らしてた」
「マジで信じらんねぇ、この女」
 極限まで顔を顰めた悟くんは、盛大な溜め息を零した。電話に出ない私を心配して、はたまた怒り心頭に発して、高専から随分離れた都内までバイクを走らせてくれたのだろうか。そう思考が巡るとつい頬が緩んでしまった。十代の男の子って、今の私からは抜け落ちてしまった若々しい情熱が漲っている。
 同業者がこぞって集った飲み会は、どっぷり日が沈んで明日が今日になる手前にお開きとなった。もう今は日付が変わる頃合いだろうか。学生身分の悟くんをいつまでも夜間の繁華街に留まらせるわけにはいかないけど、彼は彼で不服を申し立てたい気持ちが溢れ返っているらしい。外気に曝している私の首筋に一瞬顔を近付けたかと思えば、くんと鼻を鳴らして険しい形相を湛えた。今の私が纏う匂いはきっと、悟くんには苦手で不得手とするものなのだろう。
「……酒臭い」
「二杯も飲んでないよ」
「煙草臭い」
「それは真向かいのひとの。周りは皆女の子だったよ」
「…………」
 顰めっ面の悟くんからは掘り起こせば苦言も不満も湯水のように湧いて出そうではあったけど、彼も極寒の夜半に繰り返される問答がいかに無益か気付いたらしい。未だ焦れったくてもどかしそうに唇を曲げながら、渋々ヘルメットを手渡してくれる。ふふっと笑みを零して改めて迎えに来てくれた御礼を言うと、悟くんは首の裏側に手を当ててふいと目を背けた。サングラスの隙間から覗く上を向いた長い睫毛は微かに揺れている。気恥ずかしさを紛らわす照れ隠しのようないつもの彼の仕草に、表情に、無性に愛しさが込み上げた。
 ヘルメットを装着しにかかるが、悴んでいる上に微酔が浸透した指先では不慣れも重なって、時間が掛かってしまう。既に準備を終えた悟くんは、優越感に浸ったような尊大な態度で笑いながら、それでも私を手伝ってくれた。ヘルメットを被せて、顎紐を締めようとする悟くんの骨太な指先が首筋を掠める。私とは比べ物にならないほど皮膚を切り裂く冷たさが、この季節この時間に居座ることの意味を降り注いだ。急速に申し訳なさが募ってしまう。
「寒かったよね。ごめんね」
「ほんとだよ。俺、今日で凍え死ぬのかと思った」
「御礼にいっぱい触ってくれて良いよ。今の私、超あったかいから」
 程良い酒気のおかげで今の私には膨大な熱が満ち溢れている。預かり受けた熱を授けるように、悟くんの手のひらの上から私の手のひらを重ねた。尾錠を付け終えた彼の指先が大仰に跳ねる。珍しく動揺を滲ませた悟くんだったけど、その鳴りを潜めてすぐに呆れ果てた声を発した。
「……思わせぶりなこと言うだけ言って何もさせてくれないくせにさあ」
「悟くんにはまだ早いよ」
「年下の男誑かしといてどの口が言ってんだか……」
 その口振りにまずいと直感した。このままでは積もり積もる悟くんの恨み辛みが爆発してしまう。家に辿り着く頃には膨れ上がった怨嗟が破裂して、めちゃめちゃにされてしまいかねない。野生の勘が働いてすぐに距離を取り、逃げるようにバイクの後部席に座り込んだ。冷たくなった座席を叩いて発進を促す。悟くんは不服そうに眉を寄せたけど、素直に足を伸ばしてバイクに跨った。年下の男の子と言えど、甘えも過信も禁物なのだ。悟くんと付き合うようになって身に沁みて感じている。
 悟くんの腰に手を回す。がっしりとした筋肉質な体格が服越しに伝わって、不覚にも胸が高鳴った。悟くんの心も身体も独り占めしている嬉しさと、十代の儚くて淡い青春を私のために無駄にさせている気がする切なさと、両方が混ざり合った不思議な高鳴り。
「振り落とされないでよ、酔っ払い」
「……任せて。一生悟くんのこと捕まえてるよ」
 真剣な口調でそう言ったけど、悟くんは鼻で笑って往なしてしまった。また無駄口を叩いてる程度にしか捉えてないんだろうなあ。彼の瑞々しくて純粋な熱情には負けるけど、私だって本気には違いないのに。
 悔しさを押し付けるように悟くんの背中に密着して、腰に回した腕のちからを強くする。一瞬たじろぐような反応を示した彼がかわいくて、いじらしくて、また私の心の温度を一度高くさせた。