五条悟
「眠い?」
 意識がぼんやりして微睡みの底に落っこちそうになっていたのを、強制的に引き留められた。目蓋を開くと、目を閉じる前と変わらぬ光景が広がっている。私の身体に乗り上げて、食い入るように私を眺める悟の顔。わずかに頬が上気して、熱が燻る吐息が唇から零れ落ちてくる。私とは正反対に、まだまだ興奮冷めやらぬ様相だ。
「とても眠い」
「もっと体力つけた方が良いんじゃない?」
「悟の底なし沼みたいな体力に付き合ってられない」
 意識を飛ばしそうになるのはこれで何度目かと発端を思い返すのも億劫になるほど、彼の全身を巡り巡る欲望は途絶えるところを知らない。吸って吐いてを繰り返す呼吸みたいに、生きている以上それが当然であるかのように、何度も何度もその身に迸る。そもそも規格外な身体を以ってして生まれ落ちた男と平凡な女の体力を同じ土俵に立たせることが間違いではないだろうか? 私は未だちからの入り切らない腕を持ち上げて、彼の額を人差し指で弾き飛ばした。悟は「イッテ!」と痛みを訴える呻き声を上げて、私の首元に顔を埋めた。色素の薄い悟の髪の毛が鎖骨にかかって、こそばゆい。
「ちょっと、これはひどくない?」
「散々ひどいことしたのはそっちでしょ」
「ひどいことって?」
 顔を上げた悟と視線がばっちり交じり合う。暗闇の中でも仄かに浮かび上がる蒼の瞳からは、自他共に認める底意地の悪さが漲っていた。
「……泣いてもやめてくれないし」
「オマエの泣き顔そそるんだよ。だからそっちも悪い」
「屁理屈じゃん」
「どこが? 真っ当な理屈だよ」
 そんな理屈が真っ当であって堪るものか。傍若無人を真っ向から進んでいく男には呆れ果てるしかない。悟の胸板を押し退けて、シーツの海底から這い上がった。
 身体をくっつけ合っているとそこまで感じなかったが、部屋は肌寒い冷気で満ち満ちていた。ベッドの隅に追い遣られていた毛布を被り、サイドテーブルの上に用意していたペットボトルの水を手に取る。正面から悟の悪辣をひっきりなしに受け続けていたため、私の喉は砂漠に置き去りにされたみたいに干からびていた。喉を潤している間も、後方からの射るような視線が背中に突き刺さり、まともな休息とは程遠い。
「僕も水飲みたいな〜」
 挙げ句の果てには、そんな王様気取りの駄々をこね出すのだ。平民の私に抗う術がないと知っていながら。いや、これはどちらかと言えば、惚れた弱みなのかもしれない。私が惚れた男に抗いようがないと、悟は本能で知っている。
 無性に悔しくて、持っていたペットボトルを無言で手渡した。
「あー違う違う。そうじゃなくて」
「なに?」
「ほら、ここ」
 ここ、と悟は人差し指で自分の唇をとんとんと指し示した。
 何を要求されているのか即座に分かってしまう自分も、呆れ返りながらもその試みに乗ってやらねば何が待ち受けているのか即座に思い至ってしまう自分も、とても腹立たしい。
 悟の元に膝立ちでにじり寄る。彼は肘をついて寝そべっていたが、上体を起こして胡座を組み直した。私が思惑通り事に運ぼうとする様に、笑いが止まらないとばかりにほくそ笑んでいる。なんて性根の悪い男だ。
 ペットボトルの縁に唇をくっつけて、水分を口に含む。悟の冷たくて薄い唇に自分のものを寄せて、水を少しずつ彼に移してゆく。溢れそうになる液体を舌に乗せて伝わせた先の、湿った熱が籠もる粘膜が擦れあって、身体が震え上がった。
 完璧に水分を運べたかと言うとそんなことはなく、悟の唇の端には一筋の線ができあがっていた。その端正な顔立ちと相まって、やけに扇情的な絵面になっている。
「水分補給バッチリ」
「……それは良かった」
 ペットボトルのキャップを閉めると、悟はそれを奪い取って床に放り投げた。乱雑で乱暴な彼の姿というのは、もう幾度となく目にしてきた。ゆえに察してしまう。予感であり、予兆だ。
「じゃ、もっかいしよ」
 有無を言わさず、再びベッドに押し倒された。決して強いちからではないのに、私は抵抗を示すことができない。されるがまま、シーツに沈み込む。
 理由は至極簡単で、私が悟に惚れているからだ。
 悟もそれを分かっていて、惚れた弱みというやつを理解して、私の身体を余すとこなく虐め抜いてくる。だからこうなってしまえば、もう反撃の余地はないのだった。
 惚れた弱みとは、何とも厄介なものである。唇を寄せられてしまえば、反論も抵抗もすべてを飲み込んでしまう他ないのだから。