恋を呪わば穴ふたつ
 大量の流星群が闇夜を切り裂く。瞬きの都度、消えては現れる無数の光の線。この世の物とは思えない鮮烈な輝き。思わず見惚れてしまった。光の出処を無意識に目で追ってしまう程に。今私がこの場にいる意味を忘れてしまう程に。
「目標の鎮圧に成功。今日は上がりだ。各自速やかに撤収しろ」
 雑音はいつの間にやら鳴りを潜めていた。囂々たる銃声も、徹甲弾の命中する音も、透き通ったオペレート通信も。在るのはただ一つ、私達の指揮を執る部隊長の通信音声のみ。それも先の言葉を最後に途絶えた。待ち焦がれていた静寂を前に、短く息を吐く。久方ぶりに生きた心地のする呼吸だった。柄にもなく緊張していたらしい。脈打つ胸の鼓動は換装体と言えどもしっかり伝わってきた。照準器から目を離し、狙撃姿勢を崩す。途端に並々ならない倦怠感が押し寄せてきた。四肢が疲労で震える。引き金にかける指と敵を視察する眼に全神経を集中させすぎたせいだろう。関心のない事象に気が回らなくなるのは私の悪癖だ。逆に集中力、この一点においては他に引けを取らない。…つもりだったが、戦地で味方のアステロイドに見とれているようでは高が知れている。
 通信が入った。回線を切った隊長からの通信に再度身構えるが、奇襲の警戒ではないようだ。「二宮だ」と律儀に名乗った声色は、命令を下された時よりもやや尖った印象を受ける。
、お前は待機だ」
「え?」
「聞こえなかったか? そこに残れ。辻と犬飼は先に戻っていろ」
「……なんで」
「話があるからだ」
 わお、と気の抜ける呟きが乾いた空気と共に流れてきた。振り返ればわざとらしく目を細める犬飼くんの姿がそこにあるではないか。地上での接近戦を得意とする彼が狙撃地点まで駆け上ってくるのは珍しかった。何事かなんて野暮な問答は必要ない。彼の幼気を装った瞳を見ればその目的は一目瞭然だった。男子高校生とは他人の間に在りもしない恋愛感情を乗っけた矢印を思い描くのが好きなお年頃なのである。茶化す標的が二宮くんでなく私なのは妥当な判断と言えるだろう。彼が相手では、けしかけたところで返り討ちにされるのが目に見えている。犬飼くんは派手目な容姿とは裏腹にとても聡明な子だ。
 狙撃銃を両手で抱えて、全身を起こす。直立すれば見える景色は別物だ。腹臥位で地上ばかりを注視していては知り得なかった街全体の外観が一目で見渡せる。もうすぐ夜明けだ。黒味を帯びていた青は橙をも飲み込もうとする。もぬけの殻となった市街地にも朝は来る。
「おい、聞こえているなら応答しろ」
「あっ……、了解」
 急いで首肯を返すも、言い終わるより先に彼は通信を切ってしまった。景色に気を取られ返事が遅れてしまった私も私だが、一方的かつ独裁的なコンタクトを取る二宮くんも二宮くんだ。有無を言わさないその圧力は、対面した時の鋭い眼光との合わせ技で更に効力を増すことだろう。これから始まるお説教タイムを想像して気が滅入るばかりだ。すると私の心情を見透かしたであろう犬飼くんはケタケタと腹を抱えて笑い始めた。いつの日か「さん、すぐに顔に出るから」と柔く忠告してくれたのも彼だった。本当に、曲者揃いの二宮隊のバランサーとしてよくやっていると思う。影の立役者的存在だ。犬飼くんが突撃銃をトリオンへと還元させたのを確認して、私も同様の手順を踏んだ。山鳩色の外套と呂色の狙撃銃は跡形もなく消え去り、代わりに光の粒が上空へと舞い上がる。ダイヤモンドダストよろしく煌めくトリオンは程なくして大気と一体化し、そのまま見えなくなった。幻想的なもの程、儚く、限定的で、壊れやすい。私が視線を戻したのを見計らい、犬飼くんは普段通りの軽い口調で労いの言葉を口にする。
「お疲れ、さん」
「お疲れ様。尻拭いばっかりさせちゃってごめんね」
「いやいや。さんの射撃、めっちゃ助かりましたよ。連携も初めてにしては上出来ですって」
 相変わらずの煽て上手だ。飄々とした言葉の裏にはしっかり芯が通っていて、褒め言葉を嘘臭く感じさせない。彼なら一文無しの状態で社会に放り出されても順応して伸び伸びとやっていけそうな気さえする。末恐ろしい子だ。声にはせず、それは内に秘めておくことにした。
 そこから少しだけ世間話(という名の一方的な恋愛云々の話)をして、丁度二宮くんと入れ違いで犬飼くんは本部に帰還した。最後に言い放った彼の言葉、「後のご機嫌取りは引き受けますよ」の意味。私がこれから二宮くんの機嫌を損ねるかのような言い草だ。そして、その予想は的中するに違いない。待機を命じた二宮くんの声色は明らかにいつもと異なっていた。悪い方向に、だ。下手に口を開けば汚物を見る目で蔑まれること間違いなしだろう。抗議するなど以ての外。半世紀どころか四分の一世紀も生きていない人間に、死同然の覚悟を決めろというのは無茶振りも良いところ。言うなれば、それ程までに異様な威圧感を彼は放っているのだ。
 地上から階段を抜けて屋上に辿り着いた二宮くんは、私の姿を確認すると迷いなく此方に歩み寄ってきた。背中に気疎い汗が伝う。彼が距離を縮める度に心臓がわななく。この現象は恐怖からきているのだろうか? それとも緊張? ──どちらも違う気がした。私が二宮くんに向ける感情は、そんな簡単な言葉では片付けられない。
 彼が歩みを止め、私の目の前で静止した。
「何を考えている」
 開口一番のそれに思わず息を飲む。予想通り、いや予想以上に、彼の研ぎ澄まされた眼光は鋭利で冷たい。単なる質問への挙動不審な表情や動作は決定的な不信感を与えたことだろう。二宮くんは私の動向を見逃さず、ぴくりと眉を動かした。只でさえ怒気を含んでいた周りの空気に、加えて刺々しさが付随される。まるで拷問を受ける罪人の気分だ。何を物申しても許されない、赦されない。
「何って、……なんだろう。今日の献立とか?」
「そんなくだらない話をわざわざしに来たと思うのか」
「だって、質問が抽象的すぎるよ」
 私のない頭じゃ分かんないよ。付け加えた言葉に二宮くんは更に眉を顰めたので、結果的に失敗だったと思う。むしろ言わない方がまだマシなレベル、大損だ。
 息苦しさだけがこの場を浸食していく。吐息を洩らすことすら躊躇われる。皮下の細胞はすっかり縮こまってしまった。
「質問を変える」
 どうやら私の意見を聞き入れてくれたらしい。なけなしの善意か、あるいは完膚なきまでに叩きのめすための布石か。根拠はないが、後者だろうなと直感する。二宮くんの声音はあくまで平坦だったが、纏う雰囲気は依然として変化の兆しを見せないからだ。同時に、この冴えたことのない勘は今回ばかりは外れて欲しいと強く願った。
「お前は今日体調が優れないわけでも、良い狙撃地点を取れなかったわけでもないと、俺は見ている。間違いはないな?」
「……? うん」
「更に言えば、防衛任務前の練習では精密な射撃精度だった。東さんにも褒められる程度には。これはどうだ」
「そう……だね。合ってる」
 数時間前の記憶に遡り、恐る恐る頷く。確かに私の体調はこれ以上ないくらい万全で、戦地を程良く見渡せるポイントを直ぐに発見できて、狙撃練習では東さんに「調子良いな」と賛辞の言葉を貰った。二宮くんの推測はぜんぶ正しい。
 嫌な予感しかしない。外堀を埋められている。逃げ道を封鎖して、言い訳なんぞ無駄だと暗に言われている気さえする。勘違いであって欲しい。
 風向きが、変わった。向かい風だ。
「なら、やはりお前は故意的に援護を行っていたことになる。近界民を一発で仕留める技術を持っているお前が、だ」
 それは、まごうことなき死刑宣告だった。断頭台の頂点から振り下ろされた刃は一寸の狂いなく私の首を斬首する。おどろおどろしい量の赤が溢れ出す。血管の裂ける音、鉄錆の臭い、骨の砕かれる感覚。ぜんぶ妄想だ。この仮初の身体に血液は一滴も流れていないし、そもそも私の首には傷一つついちゃいない。とんだ妄想癖だ。けれど、どれだけ嘲笑われようと構わない。現状の私はまさに斬首刑を控えた罪人のそれなのだから。
 ──ああ、やはり。バレないわけがないのだ。全世界のありとあらゆる人間を騙せても、この人にだけは、隠し通せる筈はないのだ。
 二宮くんの睥睨に居たたまれなくなり、視線を落とす。綺麗な形をした革靴がぐにゃりと歪んだ。灰色のコンクリートに落とされたふたつ分の影が蠢いている。虚偽で埋もれたこの視界を、ひとは眩暈という。初めての体験だった。自分の重心がどこに存在するのか、地球の重力がどこへ行ったのか、分からない。足許がふらつくのを二宮くんに気付かれまいと必死に堪える。暫くして眩暈は収まったが、彼の憤りは収まっていないようだ。顔を上げてしまったのが運の尽き、「逃げるな」と起伏のない声で念押しされてしまった。四方が塞がれる。それでもまだ逡巡している私に、彼は痺れを切らして唇を開いた。私に出口の光を示すためというよりは、更に王手をかけるため。とことん潰したいらしい。どこまでも貪欲な王様だ。
「補足するなら、チーム連携を考慮に入れたわけでもないだろう。諏訪隊の時は一人で仕留めまくっていたようだからな」
「……二宮くんは、そうやって人を追い詰めるのが上手いね」
「物分かりの良さは褒めてやる」
 刃向かうのも馬鹿馬鹿しい程に、彼の言葉は正論だ。反論の余地などひとかけらも残されていない。
 そもそも、私は二宮隊の正規隊員ではない。B級フリーで伸う伸うとやっている狙撃手だ。フリーの隊員は同じ輩で編成された混成部隊で防衛任務に当たる。各々の都合で任務に当たれない場合のみ、正規部隊と共に一時的に任務に当てられる。そういった場合は不足している戦闘力を補うための配置になり、狙撃手である私は自動的に遠距離戦の値が低い隊に配属される。私の場合、前回は諏訪隊で今回は二宮隊というわけだ。
 B級中位以上の部隊はコンセプトがしっかりしている。だから、新入りたる私が連携を途切れさせてはいけないと思い、援護狙撃にした。この言い訳は何度も私の脳内で反芻していた。二宮隊はB級上位の尤もたる存在で、頂点に君臨している。不自然な言い訳ではない。しかし、諏訪隊との合同任務で私は思いっ切り己の戦法を通してしまっている。どういった経緯で二宮くんがその話を耳にしたのかは不明だが、言い逃れは不可能に近い。上位陣だからの援護ではなく、「二宮隊だから」の援護。これは誤魔化しきれない事実だった。
 ──恐らく、この理由を二宮くんは察している。
「ここまで言えば、物分かりの良いお前は分かるだろうな」
「……」
、お前は誰のことを考えながら戦っているんだ」
 否が応でも私に言わせたいらしい。二宮くんの射るような眼差しに皮膚がじりじりと焦がされる。すっかり水気を失った喉が悲鳴を上げる。
 ──誰のことを考えている? そんなの分かりきっているでしょう。犬飼くんと辻くんをサポートして、氷見ちゃんのサポートを受けて、二宮くんのそつのない指令を聞き入れて。そうして脳裏に思い浮かぶ人間なんて一人しかいない。つい何ヶ月か前まで今現在の私の立ち位置を受容し、血の滲むような試行錯誤を繰り返してもがき続けていた彼女一人しか。
 二宮くんの想像する通りだよ、と返す。あくまで平坦を装ったつもりだったのに、それが逆に彼の神経を逆撫でしてしまったようだ。思い切り眉を顰め、苦虫を噛み潰したような顔をしている。失望やら同情やらを湛えた瞳の奥に、馬鹿の一つ覚えみたいな作り笑いを浮かべる私がいた。彼女とは顔立ちも雰囲気も何も似てないのに、どこか既視感を覚えるのは、何故?
「お前は勘違いをしている」
「……何を?」
「あいつが撃てなかったのは人だけだ。近界民が相手なら一発で仕留めていた。人型でない限りは」
 ああ、そうだ、その通りだ。頭からすっぽり抜け落ちていた事実に、笑いさえ込み上げる。今日これでもかと張り詰めていた緊張が馬鹿らしく思えた。所詮は真似事だ。完璧に彼女を模倣することなど不可能なのだ。
「どういう意図があってのことなのかは知らないし、訊くつもりもない。だがな、ひとつだけ言っておく」
「……」
「あいつの代役を誰にも成し得ないように、お前の代役も誰も成し得ない。馬鹿みたいな真似は今日限りにしろ。今まで自分の培ってきたものを蔑ろにするような真似は二度とするな」
「……」
「返事は」
「……、了解」
 二宮くんの、刃の如く鋭利な言葉は私の胸を劈いた。彼の言葉はいつだって正しい。きっと私の愚行を真っ向から叱責してくれるのは後にも先にも彼だけだろう。目頭にじんわりと熱がこもる。泣いてしまいそうになったのは感動したからじゃない。気付いてしまったのだ。二宮くんにとっての唯一無二の存在。私を叱りつけるための苦言はその存在の大きさを浮き彫りにしていた。どう足掻いたって、彼の瞳に映るのは私じゃない、別のひと。彼女の代わりは誰にも務まらない。
 知らぬ間に夜は別れを告げていた。東から顔を出し始めた太陽や小鳥の囀りが、空虚な市街地を鮮やかに彩ってゆく。朝方の透き通った風が二宮くんの繊細な前髪や外套を揺らした。
「撤収だ。さっさと戻るぞ」
「……うん」
 踵を返した二宮くんの後に続く。男性らしい大きな背中を眺めながら、奥歯を強く噛み締めた。彼の見つめる視線の先は分かっても、私が彼に向ける感情は分からない。分かりたくない。この感情に名前を付けてしまえば後戻りはできない。だから、まだ、分からないフリをしていたい。子供じみた矜持を保たせて欲しい。
 息を吐く。久方ぶりの呼吸のように感じる。けれど、生きた心地はしなかった。咥内を浸食する味を形容するなら、まるで、地獄そのものだ。

2016/06/27