加古望
 じわりと滲む汗を知らぬ顔で吹き飛ばしていく突風は、汗だけでなく私の髪や衣服までも全力で靡かせる。己の不必要を全て投げ打って風と一体化するような感覚に、身も心も虜になってしまいそうだ。隣の彼女は、私よりずっと前から、この爽快感を体験して病みつきになっているのだろう。視線を前に見据える彼女を盗み見る。束ねた長い髪の隙間から顕になったうなじが、やけに眩しい。
 今日は私と望ちゃん、お互いのオフが重なった貴重な休日だ。大学の講義もなければボーダーのシフトもない。私と望ちゃんの数少ない接点がゼロになる日なのに、寧ろ彼女との距離を縮める日になったのは思いがけない出来事だ。折角だから何処か遠出でもして気分転換しましょ。そう提案してくれた望ちゃんに、私は二つ返事で快諾した。同い年だけあって仲は良いと自負していたけれど、実際にこうしてふたりだけで出掛けるのは初めてだった。学校やらボーダーやら何かに託けなければ会えない関係から、気兼ねなく遊びに赴ける関係に発展したということは、すごく喜ばしいことだ。約束を取り交わしたその日から、当日が待ち遠しくて仕方なかった。
 当日私の家まで迎えに来てくれた望ちゃんは、驚くべきことにオープンカーを走らせてやってきた。その上、黄味がかかったブラウンレンズのサングラスを掛けている。大きめのフレームの相乗効果で望ちゃんの小顔が強調され、スタイルの良さにより一層磨きがかかっている。ボーダーが位置すること以外は普遍的な日本都市である三門市ではそうお目にかかれない、異国の地に迷い込んだかのような光景だ。私を助手席に座らせてくれた望ちゃんは、「風は強いけど気持ちいいわよ」ときれいな唇を緩めた。額面通り、確かに私はこの体験に魅了されてしまった。
「望ちゃん、いつ免許取ったの?」
「高校の受験終わりだったかしら。推薦で大学は決まってたから」
「そうなんだ。私まだ持ってなくて。取るタイミング逃しちゃった」
 車に纏わる他愛もない会話のつもりだったが、望ちゃんは何を思ったか、不敵に笑みを零した。前方を注視する彼女は私を見ていないのに、私の心を覗き見されているような気分だ。
「取れなくてもいいんじゃない。が連絡くれれば、いつだって駆け付けてあげるわ」
「そ、そんな彼氏みたいな大それたこと頼めない……」
「ふふ、そう? それは残念」
 一体どこからが冗談でどこまでが本気なのか。境目のあやふやな望ちゃんの言葉に、こうやって心臓を鷲掴みにされるのは何度目だろう。明け透けでいて本心の見えない望ちゃんのそれは、悪癖だけど、私にとっては病みつきになる瞬間とも言える。
「いつでもは悪いけど……また、機会があったら乗せてね」
「もう、ったら。まだドライブは始まったばかりよ」
 子どもを宥めるように笑う望ちゃんに、そうだねと私も笑った。目の前に広がる現実からの逃避行は、まだ始まったばかりだ。